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「すいませんより、ありがとうがいいけん」
ふと思い出す。 あれは数年前に熊本の保育園に勤めてた時。 保育3年目、資格を取って はじめて担任を持つことになった時。 初担任は2歳児だった。 ひとクラス10人くらいの園で そんな中でも「この学年はやんちゃ」と うわさの2歳児だったので、 もうドキドキ。 なにしたらよいのか… さてさて 2歳児の担任は、 僕と もうひとりはヤンキーっぽい(笑) ちゃきちゃきした?ちゃらい系?の 年下のお姉ちゃん。 と、3歳児の担任さん(ベテランさん)と 3人で2クラス一緒に過ごしていた。 たまにヤンキーさんと ふたりでクラスをみることになるのだけど、 もう右も左もわからず てんやわんやでござった。。。 ある日、そのやんさんが にこにこしなが伝えてくれたこの一言。 「さんちゃん、 あたし「すいません」って言われるより 「ありがとう」って言われた方が うれしいけん」 これ、すごく胸に響き いまだにあったかく残ってる。 あのころほんと 自信がなさすぎて、 しかもやんさんとベテランさんで(笑) 「すいませーん」が口癖だったらしい。 それをさらっと見抜いて、 ほんとに
2024年2月28日読了時間: 2分
初の青色申告!
会計なんて自分にできるわけない と、思ってたけど、、、 やってみたらおもしろいじゃないか! 思えば昔、 設計から業務部に転向になったときも 「自分にできるわけないがな!」 と思ってた。 でもやってみたら すごーくやりがいがあって面白く 自分にしかできないものを確立しよう と奮闘したのだった。 "細かい"と"大雑把'が 共存してるわたくし。 そうそう。 数字触るようになったのも一因かな。 二つの異なる考えが 共存しうることって 結構多いんだなって気づいたのは。 物語って二面だけじゃない。 もっともっも多面体であり むしろ丸だったり、形がなかったり 無限だったりする。 自分にかけてる制限って 実は幻なんだよね、大概は。 やってみたら わかることがある。 会計意外と好きだわ!
2024年2月25日読了時間: 1分
なんで保育だったのか〜はじめのころ〜
昨日、ふと「なんで保育始めたんだっけ」と 振り返ってみた。 すると 戻り戻って大学時代までは辿りついたのだけど、 それより前には戻れなかったなぁ。 なんとはじめのきっかけは、 バイト先(ガソスタ)の先輩2人(元お客さん)から 「俺たちボランティアしてるんだよね」 って話をきいたことだった。 なんか知らんけど 「ボランティア・・・やってみたいな」 と思ったのですよ。 びびっときた? 昔からこういう 一見正しそうなことを考えたりすることが よくあった。 逆に、 ありえんほどひどいことも さんざんしたんだけど(これほんと) ものすごいギャップだよね。 今思うと うーーん、ほんとかはわからんけれど 自分自身を癒やして受けとめたかったのかな とか思う。 いい人に見られたい、とか。 でも、100%そうでもなく ほんとにそういうことがしたいと 純粋な気持ちもあったと思う。 そんなこんなで 実家から出て解放された気分で ボランティア団体さんに出会い、 そこで色々あって 「お年寄りか子どもにかかることがしたい」 と思うようになっていったのですた。 ふしぎなもんだな
2024年2月24日読了時間: 1分
故郷石川の状況を聞いて
わたくし、石川出身であります。 今日知ったのだが 職場の方が震災被害調査の仕事で 石川の穴水に行ってくださってたそうな。 状況を聞くと。 やはり大変な状態だったらしい。 聞いたことのある道路の名前が。 通れないとか。 現場の近くの家は きれいな家でも倒れてたとか。 こういうとき、 僕には地元派生があるから 余計に心がうごくけれど。 遠くに行けば行くほど なぜか心もちょっと離れる気もする。 不思議だよね。 故郷には愛着がある。 引っ越しをたくさんして いろんな地域に住んだ僕としては 住んだらそこがあたらしい故郷になる。 故郷っていいね。 家族みたいなもんで いつまでも、あの頃のままでいてほしいと 無意識に願ってる自分がいる。 でも、故郷は変わる。 今回のような災害だけじゃない。 たとえば 子どもの頃長靴で入って ぬかるんで抜けなくなった田んぼが スーパーになってると どことなく切ないんだよね。 どうか元気でいてほしい。 ひとりひとりに ひとりひとり、その人だけの人生がある。 誰一人として 軽い人生の人なんていない。 想像もできないようなドラマが も
2024年2月23日読了時間: 2分
ほんとの厳しさってなんだろう?
会社員として外に出て働いてみると。 10年前のような厳しさとは違う雰囲気を よく感じるようになった。 保育園も同じくそうだと思う。 なんというか 空気の張り詰めた感じがなく ほわっと暖かい感じになった。 今日もそんな空気の中 しごとさせていただきました。 怒号も聞こえないところが多い。 「怒号!?パワハラだろ!」 なんて声がしそうだけど、 パワハラってなんだろう?? 「本人が嫌だと感じたらハラスメント」 というけれど。 嫌だと感じることって 生きてたらそれこそ 嫌というほどあるよね! 怒らないことがいいとか、 怒っちゃだめだとか、 根本的にそういうことじゃないのかもね。 昔の人の厳しさって 愛だったなって思ったりもするんだ。 というのも、 過去に、ぜーったい怒らなそうな上司を なんどもプッツンさせたわたくし。 遅刻しまくるわ(朝上司の声で起きたこと多数。恐怖の「おはよう」の一言…) ネットワークビジネスに社内の人勧誘するわ、 誰よりも早く帰るわ、 そんなこんなでプッツンさせてしまい。 でもあれは愛だったなぁ。 いまでも忘れない、その時の言葉たち。
2024年2月21日読了時間: 2分
いのちの灯火
最近よく思うようになったこと、 それは いま生きていることって 奇跡だなということ。 あした、 家族の誰かが目を覚さないかもしれない。 あした、 誰かが不慮の事故にあうかもしれない。 なにがあるか分からない そんな世界のなかで いま、家族のみんなが げんきに過ごせているということ。 こんなにありがたいことは あるだろうか。 これを奇跡と呼ばずに 何を奇跡と呼ぼうか。 今日も家族の写真を見ていて じんわりそう感じたのであった。 はたして明日が来るだろうか。 そうそう、このあいだ考えたのだけど 僕の人生80年、生きられたとしたら あと40×365日だから あと14,300日。 すごい数字だと思うだろうか? ぼくは、 きっとあっという間だと思うんだよね。 たったの1万4千日。 あしたがもしきたら 13,999日。 あした、くるかなぁ。 もししてくれたら どんなふうにいきようか。
2024年2月20日読了時間: 1分
歩くはやさはバロメーター
最近気がつくようになったこと。 僕の場合は、だけど。 歩くはやさが速い時は 考え事してたり 時間がなかったり 急いでいたり 悩んでいたり 頭がぐちゃぐちゃになってたり 心にゆとりがなかったり と、そんなことが多い。 逆にゆっくり歩いてるなと気がつく時は 気持ちにゆとりがあり 時間にゆとりがあり 無駄なことを楽しむ暇があり ナチュラルに心地よかったり いろんなわかわくすること考えてたり 自然を愛でるゆとりがあったり と、そんなことが多い。 昔は気づかなかったんだよね。 自分の歩くはやさ のことなんて。 いま、はやいのか おそいのかなんて。 意識することもないし 気がつくこともなかった。 何で気がつくようになったんだろう。 あ、歩く姿勢とかを意識し出してからか! (これは今はやってないけど) はやいのがいいとか ゆっくりのがいいとか そんなことは人によると思うけど、 僕は、 僕の中では ゆっくり歩いてる時の方が 自分らしい感じがする。 まぁもともと カピバラくんみたいにのんびりだからな(笑) ちょっとしたことだけど 身体と気持ち(こころ)って繋がって
2024年2月19日読了時間: 2分
海といのちと。
今日は海に行ってきた。 1ヶ月前くらいから、なぜか海に行きたいと思っていて。やっとこさ叶えることができた。 久しぶりに、裸足になり 足に海の水が。 つめたい! 裸足になった時からだけど、 なんか呼吸が深くなった感じがして。 すーっとしたような感じ。 何で海に来たかったかというと、 日々のデスクワーク(実はさんぽはトリプルワーク、3つめです。メインにしたいです)での疲れとか、 喉が詰まるかんじ? 電車苦手だからその疲れ? 電車って人が多くて閉塞的だから 気が流れなくて すごくいろんな気がただよってて 個人的にはちときつくて。 あとは 思考優位の日々によるエネルギーの滞留 みたいなものを流したかったから。 だから海にきたかった。 来てみて、 「生きてるってこういうことか」 と感じた。 仕事とか 時間とかお金とか 人間関係とか この現代を生きてるといろいろあるけれど。 でも そういうの置いといて まず僕は生きてる 土の感じ 水の感じ 風の感じ 光の感じ 命の感じ そして気持ちがうごく こういうのを大切に いきていきたいなって 改めて思った。 だって こ
2024年2月18日読了時間: 2分
かっこいくみえた家族
最近、数日間ある家族と共に過ごすことがあった。2歳の男の子とそのご両親だ。 その日々が終わり、ふと気がついたことがある。 「おもい」 の一言を一度も聞かなかったのだ。 なんの「おもい」かというと、 抱っこしてて「重い」の「おもい」だ。 2歳の子なので何度も何度も、何時間も抱っこするのだか、数日の間で一度も。 一度たりとも2人から「重い」を聞かなかった。 僕は保育士だけど、 正直なところ一歳や二歳のことを抱っこしていて1日に20回くらい「重い」と言っていたし(小さい人を抱きながら)、「もう限界!」とか言っていた。 ようは重いから降ろしたいのだ。 恥ずかしいがそうだった。 「重い」と言わないことがすばらしい、 といいたいわけではなく、 「重い」ということがいけないことでもないと思う。 だって重いものは重いんだし、 腕が痛くてどうしようもないのも事実だから。 ただ自分が子どもだったとしたら、 自分を抱っこしてくれてるはずのひとが 「重いから降りて」 って結構悲しいだろうなぁ思うだろう。 だから個人的にはできるだけ言いたくない。 けど言ってしまう保育士な
2024年2月17日読了時間: 2分
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